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  • 執筆者の写真池永敏之

天国へ旅立つお父さんへ

更新日:2022年8月10日



 昨年の4月26日に父が91歳で亡くなりました。高齢で体力が衰弱し、肺炎を患ったものと思われます。以下に、棺に納めた亡き父への手紙の一部を紹介します。


 お父さんの還暦の祝いに南柏の「しちりん」で一杯やりましたね。魚介類をしちりんで焼いてビールを飲んだのを覚えています。何を話したかはすっかり忘れてしまいましたが、お父さんのうれしそうな顔がおぼろげながら浮かんできます。


 学生時代には、お父さんの勤務先がある有楽町で、ランチバイキングをご馳走してくれましたね。中華だったかな。ごちそうさまでした。


 芝浦にいた頃は、よく怒られて押し入れに閉じ込められました。台風が来たら飛ばされそうなトタン屋根の家で暑さ寒さに耐え、10年以上もよく我慢しましたね。風呂場では、ネズミがチョロチョロしていました。大きな台風で屋根が飛ばされた時、水道局の守衛さんが泊まる部屋に避難して、お母さんと一緒に不安な夜を過ごしましたね。私は怖いもの知らずで、ろうそくの灯りと大人たちのいつもとは違う様子にワクワクドキドキしたものでした。


 松戸に越してからは、親しかった友達と別れ、環境になじめず、体調不良と精神的な不安定で小学校に行けなくなった時期がありました。お父さんは何も言わなかったけれど、心配だったでしょうね。無口なお父さんに不満を感じた青年時代もありました。もう少し、腹を割って人生のことなどを話し合いたかったです。


 4月22日にお見舞いに行ったとき、お父さんは酸素吸入器を着けて、苦しそうに息をしていました。あれから26日までの4日間、ずっと頑張っていたのですね。何もしてあげられずにごめんなさい。寝たきりのため床ずれになったり、疥癬になったりもしたと聞きました。何の看病もしてあげられませんでした。とても辛かったでしょうね。ごめんなさい。


 今は楽になったでしょうか。そう願っています。これからは天国で、お母さんをはじめ皆を見守ってください。お母さんはますます耳が遠く、記憶力や理解力が衰えてきたように感じます。


 おじいさん、おばあさんが元気な時、毎年大みそかには水戸のうちで紅白歌合戦を見ましたね。お父さんはおじいさんとあんこうを酢味噌につけてうまそうに味わい、一杯やっていました。食卓には、お父さんの好きなワカサギの煮干しが乗っていたと思います。私は久子おばちゃんや誠おじさんとトランプの7並べをやって、楽しかった。夏には黄門まつり。すごい人出でビックリ。梅の季節には、偕楽園に見世物小屋がいくつも出ていて、ろく六首などは、怖いもの見たさはあったけど、やはり怖くて見られませんでした。


 お父さんは水道局に勤めている頃はとても丈夫で、ごくたまに風邪をひくくらいでしたね。私は胃が弱く、ちょっと食べ過ぎては気持ちが悪くなり、戻していました。小学校の高学年になると貧血気味で、朝礼で気持ち悪くなるなど、病弱で、健康なお父さんがうらやましかったです。


 おいしいお酒をたくさん飲んで、好きなゴルフもやって、91歳まで生きて、悔いのない人生でしたね。おじいさんとおばあさんに会ったら、よろしく伝えてください。これから仏様になる修行を積むのでしょうが、成仏してくださいね。四十九日には納骨させてもらいます。

 

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