私は幼い頃、父方の祖父を「水戸のおじいさん」、母方の祖父を「小右衛門町(こえもんちょう)のおじいちゃん」と呼んでいました。小右衛門町の祖父の家は、北千住駅から竹ノ塚駅行の都営バスに乗り、「小右衛門町」バス停で降りてちょっと歩いたところにありました。この地名は、武州(現埼玉県)岩槻城に出仕していた渡辺小右衛門という武士が元和2年(1616)にこの地へ移住し、新田開発に携わったことに由来しているそうです。
おじいちゃんは、まん丸顔に五分刈りの白髪頭で、私が行くと七福神の恵比須様のようなにこやかな笑顔で迎えてくれました。すると私は、いつも祖父の頭を片手で「なでなで」するのですが、祖父は笑顔のまま、黙って孫が飽きるまでさすられていました。祖父はその風貌と同じく、知人から「仏の俊太郎」と呼ばれていたそうです。昔は米屋を営んでいたのですが、その優しさが裏目に出て、知人に騙されお金を失くしたと聞きました。昔、これで米を測ったのでしょうか、物置に天秤ばかりがありました。
私が小学校低学年の頃、おじいちゃんはお風呂屋さんの帰りにバナナの皮に足を滑らせて転び、膝のお皿を割ってしまいました。これをきっかけに、おじいちゃんの身体は急速に衰えていきます。脳溢血を起こし、後遺症で身体が不自由になってしまったのです。今のようにリハビリのできる介護施設などありませんから、家で寝たきりの状態です。そのうち家での介護が困難になり、止む無く公営の老人ホームに預けることになりました。ホームは病院の病室のようで、一部屋にベッドが何台も置かれ、いろんな人が一緒に療養していました。お見舞いの帰り際、おじいちゃんはベッドに横になりながら、何かを訴えるように私を見つめ、涙を流していました。何を言いたかったのでしょうか。悲しいことに、これがおじいちゃんとの最後の別れとなってしまったのです。
お骨は八柱霊園の芝生墓地に埋葬され、母と私、弟に加え叔母と2人の従弟の6人でお墓参りをしました。お花やお線香、供物を供え、各自が合掌を済ませた後、幼い弟と従弟たちが墓地の周囲を走り回ってはしゃいでいると、一匹のモンシロチョウが長い間、3人のそばをつかず離れずに飛んでいるのです。蝶は上下左右にダンスを踊るように飛び回っており、私はこの蝶がおじいちゃんだと思いました。最後に会った時のおじいちゃんの泣き顔が脳裏に焼き付いていた私は、この光景を見て、何かホッとしたような気持ちになりました。
今朝の朝日新聞の「声」欄に、「あのホタルは きっとあなたね」という見出しで92歳の女性の投稿があります。
娘夫婦とホタル観賞会に行った時のことです。彼女の前に1匹のホタルがすーっと現れ、何度もぐるぐる回り、やがて静かに水面に立ち去りました。彼女は先に亡くなった「あなた」がホタルになって、「早くおいで」と迎えに来たのかと考えます。そして次のように語りかけました。
まもなくあなたの十三回忌が巡ってきます。それを務めたら、いつでもそちらに参ります。待っていてくださいね。
亡くなった人は、このように形を変えてしょっちゅう私たちのそばに現れているのかもしれません。心の持ち方次第でそれに気づいたり、気づかなかったりするのでしょう。
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