1.埋立地の家
今から60年位前の話です。私は、港区南部のJR品川駅東側、東京港に面した沿岸の埋立地に生まれ育ちました。この地域は港区の南にあることから「港南」と呼ばれ、戦前から東京都の施設(東京都下水道局芝浦水再生センター・都建設局の倉庫・都再生油工場・都家畜飼育場・都芝浦屠場など)が立ち並び、品川駅に近い割には人家がほとんどなく、人通りの少ない寂しい場所でした。そこに父の勤める東京都水道局の工場と私たちの住む官舎がありました。埋立地なので自然と言えば他から種が飛んできて自生するたんぽぽやペンペン草くらいで、高木や灌木などの緑は極めて少なく、動物はありんこ、ナメクジ、ダンゴムシ程度で、カタツムリやカマキリ、クワガタ、カブトムシなどは私にとって絵本の中の想像上の昆虫でした。
2.運動場
小学校の運動場も雨の日にぬかるまないようにするためか、アスファルトで舗装されており、運動神経の悪い私は、よく転んで膝小僧をすりむいていました。このように無機質な風景ですが、「住めば都」で私は小5で千葉に引っ越すまでは、これが当たり前だと思っていました。
3.品川練炭
品川駅の東口から旧海岸通りに出ると、「品川練炭」という、当時は家庭で炊事用,あんか用などに使われた固体燃料を製造する会社の工場があり、立体駐車場のような作りをしていて、外からでもベルトコンベヤーに乗って水平に動く練炭が見えるようになっていました。私は、電車に乗って病院やデパートに出かけた帰りは、必ずしばらくの間、練炭が流れていく様子を見ていました。
4.公衆電話
家の前は運送業者のトラックが頻繁に通る旧海岸通りで、歩道部分は当初舗装されておらず、砂利が敷かれている状態だったように記憶しています。そのうち歩道に30㎝四方のコンクリートブロックが敷かれたため、ローラースケート靴を買ってもらい、毎日広い歩道を滑って東洋水産㈱の工場や東京水産大学の方まで遠征するようになりました。そのうち歩道に公衆電話ボックスが設置され、当時は家に電話がないのでとても珍しく、よく中に入って受話器を取り、ダイヤルを回して遊びました。
5.イチジクの実
官舎の家の前には30坪ほどの庭があり、そこに1本の無花果の木が植えられていました。6月~10月に実を付け、それを捥ぐとオッパイのような白い液体が必ず出ました。なぜ植物がオッパイを出すのか、私には不思議でなりませんでした。庭では、お昼に七輪とフライパンを持ち出し、近所の友達と日清やきそばを作ってキャンプ気分を味わいました。最初、フライパンに1センチ位の水をはり、沸騰させてから麺を入れてほぐし、水気がなくなったら粉末ソースをかけ、十分に絡ませて出来上がりです。
6.東京タワー
家からは完成後間もない東京タワーが見え、夜のライトアップがとても綺麗でした。夏休みの自由研究で東京タワーの夜景を色砂で表現しようと母が言い出し、画用紙へ下書きをした上に糊を付け、金銀の色砂をまぶしました。すると、照明が夜空にキラキラと光り輝くように見えるではありませんか。作品の出来栄えがよすぎて、私の製作を疑われるのではないかとの不安と、親にやってもらったという罪悪感で私は複雑な気持ちでした。
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