皆さんは、悲しいドラマを見て泣いた後、心が洗われる気分になりませんか?
大人にとって泣く行為は、心を浄化する作用があるのでしょう。一方、大人に依存する幼児や児童が泣くのは、自分の存在を発信し、助けを求める行為ではないでしょうか。
幼少の頃の私は、弱い自分を見せたくないという思い以上に、不安な気持ちが膨らんでしまったときに泣いていたように感じます。①迷子になったとき、②反対側の自宅に帰りたいのに、車がひっきりなしに通る旧海岸通りを一人で渡れなかったとき、③扁桃腺の切除手術の苦しみに耐えきれなかったとき、などです。特に③はどうにも我慢できない体験でした。
小学校低学年の頃の私は、病院での注射や、歯医者さんで歯を削るときに、じっと我慢していました。すると先生に「えらいね」とか、「我慢強いね」と言われ、親からも褒められるので、「我慢すること」を覚えました。扁桃腺の手術の時も、詳細を知らないまま、褒められたいとの思いと、手術後にアイスクリームが食べられるという親の甘言に惹かれて受けました。しかし手術は今と違い局部麻酔によるため、腕の注射や歯の治療などとは比べ物にならないほどの苦痛を伴うものでした。
耳鼻咽喉科での手術は、歯科医院と同じような椅子に座り、口を開けて喉を見せることから始まります。床屋さんでシャンプーする時に着けるようなクロスをかけられ、先生は真ん中に1円玉位の穴の開いたヘッドミラーを頭に着け、看護婦さん二人が私の両隣に控えるなど、歯医者さんとは違ってただならぬ様子。母親もそばにいないので、不安が忍び寄ってきました。まず、喉への麻酔注射です。左右の扁桃腺に2本ずつ、計4本注射されました。痛いうえに喉が刺激され戻しそうになります。ここまでは何とか我慢していたのですが、メスを当てられると強い嘔吐反射が起こり、鼻や口から血が出てきました。それを看護婦さんがガーゼで拭き取るのですが、手術に慣れていないせいか、1人が貧血で倒れてしまいました。
これからは阿鼻叫喚の世界です。私は容赦なく喉を突くメスの圧力に堪えきれず、口を開けたまま「もうやめて!」と声を絞り出し、泣きわめきました。それでも先生は強引に手術を続けたのです。
手術が終わると多量の血を飲み込んだせいで気分が悪くなり、何度も嘔吐しました。喉の傷みも激しく、何度も血が混じった唾を吐きました。アイスクリームなんて食べられる状態ではありません。地獄の苦しみを経験し、大人たちは信用ならないとつくづく思いました。
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