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  • 執筆者の写真池永敏之

50メートル平泳ぎ

更新日:2022年8月10日


 港南小学校には25メートルプールがあり、夏になると水泳の授業が行われました。運動神経の鈍い私ですが、小学4年生で50メートルを泳ぐことができました。その一番の理由は水泳帽にあります。当時は「潜水が出来る」「水に浮くことが出来る」「バタ足でプールの横約16mを泳ぎ切れる」「25メートル泳げる」「50メートル泳げる」というように、達成度によって水泳帽に赤い線や黒い線を縫い付ける決まりになっていました。まず線のない状態から始まり、赤い線が1本、2本と徐々に増えていき、50メートルで黒線が1本入ります。これに達すると、区の水泳大会に出場できることになっていました。


 4年生の夏休み時は、学校のプールが20日間くらい開放されていました。私は、目標が明確で、努力が帽子の線によって認められ、達成感が得られるので、上級者になりたくて毎回通いました。先生は各児童を観察していて、昇格できそうな子に声をかけ、テストをします。線の色や本数を増やすには、これをクリアしなければなりません。テストに合格すると、私は急いで家に帰り、母に線を帽子に縫ってもらいます。母は裁縫学校に通っていたので簡単にやってくれました。自分の努力が一針一針ごとに形になっていく、この過程でさらに嬉しさがこみ上げて来るので、私はいつもそれをじっと見つめていました。


 平泳ぎは、左右対称に「手を胸の前で一かき」、「足を後方に一蹴り」という動作を繰り返す泳ぎ方ですが、私は自己流で「手を二かき」、「足を二蹴り」していました。手を二かきすると息継ぎまで時間がかかって苦しいため、手を前から横まで180°大きくかくところを、120°位でチョコチョコ二かきするものだから、推進力が弱く、立ち泳ぎに近い状態になっていました。このため50メートルのテストでは後半バテてしまい、泳ぎがさらに乱れ、推進力も弱くなる中で、黒線1本欲しさで懸命に泳ぎ切りました。テストの結果は?と思ってプールサイドの先生を見上げると、笑いをこらえているようでした。


 格好は悪くても懸命な努力が認められ、私は水泳の上級者となりました。


 5年生に上がってすぐに私は千葉県の小学校に転校したのですが、そこにはプールがありませんでした。クラスメートに私が50メートル泳げると話しても誰も信じてくれません。それどころか嘘つき呼ばわりされたのです。港南小学校にいたら、今年の夏は区の水泳大会に出場していたのにと思うと、口惜しくて涙がこぼれてきました。


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