私は高校時代、英語の授業が好きでしたが、他の科目には身が入らず、受験勉強は英語だけしかやりませんでした。特に頑張ったのは「英文読解」と「英単語や英熟語の暗記」です。しかし塾に通わず独学で、しかも勉強を始めたのが高三の夏休みからなので、模擬試験の結果は散々で、どの大学もC判定かD判定で、合格には程遠い状態でした。
父親から、「浪人は絶対にダメだ」言われていたので、受験は背水の陣で臨まざるを得ませんでしたが、幸先よく、模試がC判定だったT大学の法学部に合格しました。浪人を嫌っていた父は大変喜び、入学金の30万円をすぐに納めてくれました。ところが、次に受けたチャレンジ校にも合格してしまいます。D大学の外国語学部英語学科は、模試がD判定でしたが、受験科目が「英語」と「作文」だけなのがよかったのでしょう。どちらも私が好きな科目です。
二つとも合格してしまったので、どちらに行くか迷いました。D大学の場合は、「英語学科」ということで、職業の選択も英語の先生や商社などをイメージしやすい反面、私は英会話が苦手で、国際的な分野にも関心が薄いため、選択肢の幅が狭い点が気になりました。一方のT大学は、数多くの人生論、幸福論、女性論を書いて人気のある哲学者のHが学長をしています。私は教科書で彼を知り、青春出版社の「高校生として考えるために」を読んでいたので身近に感じていました。またHの前の学長は、父の勤める東京都の民政局長だった都市社会学者のIです。因みに、Iの母はNHK朝の連続テレビ小説『はね駒』のモデルとなった新聞記者のH子です。このような遠からぬ縁を感じるとともに、法治国家である日本では、どの分野でも法律は必要であり、「法学部」なら将来の職業選択の幅が広いことから、T大学への入学を決めました。
大学に入学すると、キャンパスには多くの立て看板が立ち並び、至る所にポスターが貼られ、新入生を勧誘するサークルの先輩方がチラシ配りで列をなし、若者の活気で溢れていました。私は小学生の頃から、国語の授業で当てられて文章を読むのが好きで、漢字などを間違えることなく、スラスラと読むことが出来ました。人から「声がいい」と言われることもあり、アナウンサーになれたらいいなぁ、と思っていたので「アナウンス研究会」を探したのですが、見つかりませんでした。
キャンパス内のサークル拠点を散策していると、「ショーステージ研究会」という看板が目に留まり、部室を覗くとカーペンターズのお兄さんのような髪型とブレザーを着た先輩が机の前に座っていて、私に中へ入るようにと手招きするのです。私は興味本位で中に入り、先輩の向かいに腰掛けました。部室は狭く、雑然としていましたが、それとは不釣り合いに先輩はベージュ色の丸首セーターに紺のブレザーという身だしなみの整った服装でした。彼は「ショーステージ研究会」は、大学や企業などからの依頼を受け、舞台芸能や展示会、興行などの司会を務めるのだと熱心に語り、「君は声がいいので司会に向いている。ぜひ入会しなさい。新入生歓迎会をやるので○○日に待っているから」と言うのです。彼は4年生で、MYと名乗っていました。
しばらくしてから就職課でMYさんの名前を見つけて驚きました。何と彼はNHKのアナウンサーに就職が内定していたのです。彼は早くからマスコミ業界を志望していて、大学の1年生から放送サークルに所属し、数多くの司会の経験を積んだほか、3年生からはアナウンススクールにも通学したようです。朝夕のNHKニュースに出演するのを何度も見ましたし、ラジオ深夜便にも度々出演されていました。現在は母校の非常勤講師として定期的に大学で講演をしているそうです。お会いしたのは一度だけですが、私は勝手に先輩として誇りに思っています。
(「K学院の上司は詩人だった」へ続く)
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