1.初代校長のS先生
私の入学した高校は創立2年目の県立高校です。といっても今から50年余り前の当時は、ということです。1期生は校舎が建設中のため、プレハブ教室で授業を受けており、私たち2期生の入学説明会もそこで行われました。S校長先生は、絵本に出てくる「泣いた赤おに」のような赤い顔をして、「本校は文武両道を目指し、これから目覚ましい発展を遂げるのだ」と、力強く語りました。この時はまさか7年後に野球部が銚子商業や習志野などの強豪校を破って、夏の甲子園大会に出場するとは誰も予想していなかったでしょう。この時から20年後にも2回目の出場をしています。この校長が名指導者のA監督をスカウトするなど、甲子園への道筋をつけたというわけです。
2.演歌好きのタクシー運転手
本校はJRの駅から徒歩で30分弱あります。晴れた日はよいのですが、強い雨だと傘を差しても靴やスラックスがビショビショになってしまいます。また、徒歩だと遅刻しそうになる場合もあります。このような時は、駅からタクシーに相乗りするのですが、「親のスネかじってタクシーなんかに乗って」と説教する者、頼みもしないのにサービスだと言って、演歌を歌う者、私たちの話に加わってくる者など、ユニークな運転手がいました。演歌好きの運転手は、自ら曲の紹介をし、伴奏なしで歌います。私は1度だけ乗車したのですが、噂通りなのでただただおかしく、クスクス笑いながら乗っていたため、どんな曲を歌ったのか、全く記憶に残っていません。
3.餃子せんべい
学校近くのパン屋さんの横にうどんの自動販売機がありました。付近に食べ物屋はなく、みんな食べ盛りなので放課後は空腹に耐えかねてよく利用しました。このとき小袋に入った七味が出てくるのですが、これを集めて教室のストーブの上に誰かが撒いたところ、部屋中が唐辛子でむせ返るような状態になりました。また、当時は「餃子せんべい」が流行っていて、みんなよく教室でかじっていました。餃子の形をしているわけではなく、餃子っぽい味がするのですが、これも強いニンニク臭を放つので、教科担任が授業のため教室に入ると、開口一番「誰かせんべい食ったな」と言うのです。これを聞いて私は、何故だか可笑しくて笑いが止まりませんでした。
4.手賀沼公園のお婆さん
下校して駅へ向かう道すがら、小中高と一緒の友達と2人で公園のベンチに腰掛けて話をしていると、知らないお婆さんが来て、いろんなことを聞いてきました。多分、学校生活は楽しいか、どこから通っているのか、彼女はいるのか、といったようなことだったと思います。それらの質問に答えると、お婆さんは私たちに千円ずつお金をくれたのです。何かを手伝ってあげたわけではなく、もらう理由が不明なのでキツネにつままれたような思いでそれを受け取った記憶があります。同世代の祖母にこのことを話すと、「自分の孫に小遣いをやるようなつもりだったのかねぇ」と言っていたのを思い出します。
5.箸が転んでもおかしい年頃
高三の文化祭には、交際を始めて間もない都内の女子高に通う1年生が友達を連れ、3人でわが校を訪ねてきました。学校帰りなのか、みなセーラー服姿です。学生の出入りの激しい昇降口の手前で、他校の女子生徒が物珍しそうに周りを見回しているのですから、いやでも人の目を引きます。当校の女子はブレザーにネクタイなのでひときわ目立つうえ、彼女たちは「箸が転んでもおかしい年頃」で、男子と話すのが珍しいこともあって、私を囲んで「キャッ、キャッ」と甲高い声を上げるので、男子生徒から手厳しく冷やかされました。ロング髪の彼女も連れから色々とイジられていましたが、その都度「ケラケラ」と笑うその顔には、まだ幼さが残っていました。
この時の少女は、5年後に私の妻となります。
(「NHKアナウンサーの先輩」へ続く)
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