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  • 執筆者の写真池永敏之

K学院の上司は詩人だった

更新日:2022年8月10日


 私は昭和53年3月に大学を卒業して、JR山手線「代々木駅」前のミヤタビル8階にあった財団法人K学院に就職しました。当学院の前身は中小企業診断協会の付属機関として発足し、中小企業診断士の受験参考書を販売していました。しかし受験者の増加に伴って売上も増え、中小企業診断士試験の実施機関が受験対策本を販売するのは好ましくないので分離独立したようです。財団の組織構成は診断協会の事務局長だったT氏が専務理事、理事長は元中小企業庁長官で参議院議員のK氏、学院長は一橋大学教授で経営学者のY氏、理事は早稲田大学教授で会計学者のA氏を始めとした試験委員の経験者が名を連ねていました。そして理事の皆さんの協力の下、中小企業診断士試験の受験対策テキストや添削課題、カリキュラムなどを企画・制作し、1年コースの通信教育講座として開講したわけです。私が入職した頃はM社やS大学の通信教育部などが参入していましたが、当初は独占状態のため、かなりの売上があったものと推察されます。


 昭和53年当時のK学院は、中小企業診断士のほか、日本商工会議所の販売士検定や簿記3級と2級検定の通信教育講座も持っていました。私は編集課の所属で、上司は業務部長と理事を兼ねるUさんです。編集課はUさんに加え男性と女性の3名ですが、30歳前後の男性のHさんが退職するため、補充が必要になったので公募したようです。Hさんとは業務の引継ぎで数日お会いしただけですが、編集のキャリアを活かして医療分野の専門書を扱う出版社に移るのだと話してくれました。専務はベテランの編集者を採用したかったようですが、Uさんは作文テストの結果、文才があるとして新卒の私を推挙してくれたのだと、後でベテランの職員から聞きました。Uさんは名のある詩人で、奥さんとも詩を通じて知り合ったそうです。


 Uさんは編集経験のない私に、(財)実務教育研究所の校正実務講座の通信教育を受講させ、さらに日暮里にある委託先のF印刷へ工場見学にも連れて行ってくれました。とても優しく、温厚な方で、私が勤務した7年間、怒っている所を見たことがありません。私は入職した年の10月に結婚式を挙げたのですが、Uさんだけは招待して祝辞をお願いしました。


 学院は理事長や学院長、専務理事等を送迎するためにセドリックを1台所有し、年配のAさんが運転手をしていました。ある日、Uさんと私はAさんの運転する車で印刷所へ行き、その足で千葉県にあるUさんのお宅にお邪魔することになりました。Uさん宅は、質の良い木材を遠方から取り寄せ、大工さんも腕のいい人を遠くから呼んだそうで、大変立派な和風建築です。リビングにはピアノが置かれていて、奥さまがそれを弾いて歓迎してくれました。彼女はとても饒舌で、日常の出来事について面白おかしく話すので、時間を忘れるほどでした。


 Uさんの奥さまはお隣の奥さんと仲が良く、いつも家に呼んではおしゃべりをしていました。そのうち、不思議なことが起こるようになります。財布のお金が減っているような気がするのです。自分で使ったことを忘れてしまったのかな、と奥さまは思います。続いて財布に入れておいたキャッシュカードがなくなります。Uさんに尋ねても知らないと言われ、どこかに置き忘れたのかしらと自分の行動を振り返りますが思い出せません。その後、戸棚の引き出しに入れておいたはずの通帳と印鑑が消えてしまい、二人で探し回っても見つからないので「空き巣かもしれない」と思って警察に届け、捜査してもらうことになりました。この結果、何と犯人はお隣の奥さんだったのです。


 この事件を奥さまとUさんは笑って語られており、お二人の人の好さにただただ驚くばかりです。私はこの世知辛い世の中で、よくぞ純真さを失わずに生きて来られたと、中年夫婦にエールを送りたい気持ちになりました。


(注)本稿内のK学院に関する記述は、記録を確認できないことから、私の記憶をもとに記載しました。このため誤った思い込みや正確性を欠く個所があるかもしれません。予めご了承ください。

(「こどもの日」へ続く)


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