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  • 執筆者の写真池永敏之

50数年前の悲しい出来事

更新日:2022年8月10日

 


 私が中学生の頃の出来事です。自宅は千葉県内の私鉄駅から徒歩約15分、地元の不動産屋が分譲した30戸程が並ぶ戸建て住宅にありました。それぞれ30坪から40坪ほどの土地に家が立ち並び、隣家とは近接していました。


 ある冬の寝静まった夜、父が私の部屋の扉を勢いよく開け、「火事だ!起きろ!!」と叫びました。私は父の顔が恐ろしく見え、怒られているように感じて飛び起きました。玄関を開けて外を見ると、4軒ほど先に真っ赤な火柱が上がっており、風向きによってはこちらへ火の手が迫ってもおかしくないように感じ、貴重品を持ち出さねばと思うのですが、足がすくんで動けませんでした。


 その後、消防隊が駆けつけて延焼は免れましたが、幼児2人が亡くなったと聞き、胸が痛みました。出火元のお宅は母子家庭で、母親は子供たちを寝かしつけて風俗関係にお勤めのようでした。出火の原因は仏壇のろうそくの火が倒れたことによるらしく、子供が夜中に起きて火をつけたのではと推測されていました。


 私には幼い孫が5人います。次男の家庭は8歳を頭に4歳、2歳、8ヶ月の1男3女です。夜は家族が1つの部屋で寝るのですが、乳児は離せないので、母親の横は1ヶ所だけになり、4歳と2歳の娘が隣に寝たくて場所の取り合いになるそうです。亡くなった幼児は、母親のそばにいたい盛りでした。どれほど寂しく不安な気持ちで亡くなったかと思うと、不憫でなりません。


 騒ぎが収まり、寝床に入ってからも私はなかなか寝付けません。外では、消防士さんが事故後の処理のため火元の関係者を探しているのか、マイクの声が寒い夜の空気を震わせていました。


 母親は未明に店の客に送られて帰宅したのですが、子供が亡くなったことを知り、半狂乱になったそうです。家を留守にする際に、防犯のために鍵をかけて外出したのが救出を遅らせる原因となり、悔やんでも悔やみきれないことだったと思います。隣近所の住民が鍵を預かるなどの付き合いをしていたら、救える命だったかもしれません。


 個人情報の保護が言われる今日ですが、高齢化が進み、単身の高齢者や要介護者などの災害弱者が増えており、世帯情報や要介護者の情報把握が地域の防災活動には欠かせません。


 阪神淡路大震災は直下型のため建物の倒壊や倒れた家具などの下敷きで多くの方が亡くなりました。長時間重量物に挟まれていた後に救助された傷病者が,数時間を経て腎不全や急性循環障害(ショック)を生じて死亡する病態を「クラッシュシンドローム」と言います。救出が早いほど救命率が高まるので、隣近所による安否確認と救出・救護活動が大切です。


(「初めての選挙演説」へ続く)


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